国語ってどんな教科!?
皆さん、「国語」という教科にどのようなイメージがありますか?
文学や活字が好きな人は、学生時代、得意や好きでいいイメージがあるでしょうし、超理系の人は、苦手意識があるかもしれません。
国語は、小学校1年生から高校生まで、ずっと主要科目となっています。私立の理系学部の大学では、受験科目に採用されていませんが、算数と並び一番長く学ぶ学問です。
国語はよく、このように言われます。
「勉強の仕方が分からない」:教科書をクラスのみんなで読んで、読解力ってつくの?
「成績が伸びにくい」:国語の勉強を毎日したけど、模試で偏差値伸びないよ!
という感じです。
算数・数学は、演習量を増やし、公式を覚え、その公式に数字を当てはめたら、短期間でもテストの点数は上がります。
理科、社会においても、テスト範囲が決まっていれば、テスト範囲の単元の暗記、ワークの問題を解けば、テストの点数は短期間であがります。
しかし、国語は、ひらがな・カタカナ・学年相当の漢字、ある程度の日本語の意味を習得していても、テストで点数が解けない場合が多いです。
学校の教科書準拠のテストであれば、教科書の内容をある程度覚えれば、点数は取れますが、模試のような初見の文章題では点数が取れず、モチベーションが下がった経験があるのではないでしょうか。
私の経験上で話していきたいと思います!
国語を勉強する理由
文部科科学省のHPでは、「これからの時代に求められる国語力について」に関して、詳しく書かれています。
その内容を基に、私なりの解釈も交えて、私が重要だと感じる部分を中心に紹介していきます。
簡単に一言でまとめると、
「ことば」は、人間生活を豊かに送るための根幹・基盤である!!
ということです。
「ことば」なくして、生活は成り立たない、ということです。
知識の継承・習得のため
生活を豊かにしたり、便利にするためには、培った知識を後世に継承し、習得していく必要があります。
今までも、これからもおそらく「ことば」を駆使し、受け継がれていきます。
日本語を知っているだけでは、正しく、相手が理解できるように「書ける」人、書いてあることを正しく認識し間違えなく「読める」人って、案外少ないのです。
例えば、会社のマニュアルや指示。正しく読める人、少ないなぁと思っています。
仕事で50人程度に全体指示を出し、全員が意図通り、正しく指示を守れたことって、本当に少ない気がします。
誤読、思い込みのズレ、勘違い、等、様々な理由で間違えが生じます。もちろん、誰しもミスはありますが、毎回となると、読解力が足りないと判断せざるを得ません。
また、上司と部下のやり取りでも、何か一つの指示に対し、上司は「そういうことじゃないよ~(>_<)もっと〇〇してほしかったのに!」と思うことがあるかもしれません。
部下は部下で「それって、そういう意味だったの!?もっと分かりやすく伝えてよ~(>_<)」
ということ、多いのではないでしょうか!?
相手に伝わる文章を書く、伝わるように伝える、相手の伝えたいことを読み取る力は、社会人になっても、生きていく上で超重要スキルになります。
今後、情報化社会は加速し、世の中は情報で溢れかえります。
正しい情報、間違った情報の精査する能力はもちろんですが、自分に必要な情報、不必要な情報か、の取捨選択できる能力も必要です。
情報(文章)の読解力が必要になるということです。
また、自分の必要な情報を得るためには、例えばA・B・Cの情報を上手く組み合わせて、論理を組み立て直す能力も必要になってくるのです。
それらはすべて「文章」の読解力です。
円滑な対人関係を築くためのコミュニケーション能力
人と人は「ことば」で繋がっています。
仲が深まるのも、争いも、「ことば」で成り立っています。
「ことば」には、文脈や、ニュアンスという、非常に繊細なものも含まれます。これらを間違って使ってしまうと、人間関係に大きなヒビが入ってしまいます。
人間関係にヒビが入ってしまうということは、悩みが増えてしまう原因です。
例えば、仕事でも用事でも、何かを依頼するとき、
「〇〇、やっといてー!」と頼むのと、
「〇〇の件、依頼してもいいかな?忙しいところ申し訳ないんだけど、よろしくね。引き受けてくれてありがとう!」と頼むのと、どちらが気持ちの良いコミュニケーションになるでしょうか。
答えは、一目瞭然ですよね。上記の例は、極端ではありますが、ことば一つで、人間関係が良好になったり、悪化したりするものです。
「あの時、あんなこと言わなければ良かった~!」と思った経験、誰しもあるのではないでしょうか。国語力があれば回避できることだったんですね。
同じ意味でもたくさんのことば、言い回し、を知ることで、相手によってことばを選ぶことができ、伝達性が上がります。
また、気持ちの良いコミュニケーションを取れることは、何かを成し遂げるための最短ルートともなり得ます。
問題解決のため
社会であっても、個人においても、生きていれば、多くの問題や障壁にぶつかります。それを解決する糸口も「ことば」です。
今後、価値観の多様性、少子高齢化、家庭間の教育格差が広がる現代で、様々な価値観を持った人々と円滑なコミュニケーションを取る能力がますます求められます。
①相手や場に応じた言葉遣い
②あいさつや依頼・感謝の言葉
③お互いを認め合い励まし合う言葉
など、社会生活と人間関係形成に不可欠な話し言葉の運用能力の育成に取り組むことが重要です。
私自身、長い会社員生活でも、「ありがとう」「ごめんなさい」で済む話やん!、ちょっと相手に配慮した言い方にしておいたら、こんなおおごとにならんかったやん!という経験を多くしてきました。
適切な場面で、適切な言葉を発する、ということが、問題を回避したり、解決したりすることか、いかに難しいことか、ということを思い知らされています。
仕事って、仕事のスキルより対人トラブルに時間と労力取られますよね。これも社員に国語力があれば回避できるんですかね!?
これも、国語から学ぶことです。
国語で取り扱う文章で学べること
国語で取り扱う文章は、多種多様です。それぞれの文章から学べることをまとめると、以下の通りです。
説明文:相手にわかりやすく、納得してもらえる言い方や書き方。
物語文:自分と相手の状況を理解して、話すべき言葉を選ぶ力。
古文 :気持ちのこもった言葉(古語)や表現を知り、相手の話や文章の行間を読む力。
(※行間を読む:言葉や文章には表せない気持ちを読み取ること。)
漢文 :漢字、熟語、故事成語などの成り立ちを知り、自分が誰かと話をする、
あるいは何かを書く時の表現の幅が広がる。
日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字を用い、表現することで、より細かいニュアンスを伝えることができます。
感じ取れる感受性を伸ばしていきたいですね。
まとめ
国語を勉強する理由をまとめました。いかがでしょうか!?
このようにまとめると、国語は小学1年生から高校生まで、長い時間をかけて勉強する価値があると感じて頂けたでしょうか。
人を傷つけない、正しく、きれいな「ことば」を学び、豊かな人生を歩んでいきたいですね。